本作品は著者の父親が認知症と診断されたことを機に、それを同時進行で小説にまとめようと、私小説家ならではの作品です。
ごくありふれた人々の暮らしを描いて何が面白いのか。
著者の作品を読むたびにどこに魅力があるのか考えてしまいます。
目の前にある情景をHBの鉛筆で描いた細密画といえるでしょうか。
手の込んだ構成も、ひねった表現もなく、そして難しい漢字もなく、決して頁を後戻りすることなく、すらすらと読める小説です。
著者自身が企画を出版社に持ち込み、2009年から2012年まで「新潮」連載されていたようです。
当然「鉄塔家族」や「ノルゲ」の登場人物も役名を変えて登場します。
連載を続ける中で3.11を経験します。ここから単純な時系列からほんの少し時間が前後し、変調します。
震災から数日後に、東京に住む兄の許に母親を預けに行く途中の新潟で、結婚式帰りの若者たちを見かけます。
「同じ日本とは思えない。」と母親がつぶやきます。
一人のヒーローも一人のヒロインも登場することなく介護、家族、夫婦、震災を描ききります。
著者の初期の短編作品群、中期の長編小説、それらと比較して、本作は抜き出た秀作です。
日本にどのような文学賞があるかは知りませんが、なにがしかの賞を受けてしかるべき作品です。
図らずも3.11を最初に文学に昇華した作品です。
お勧めです。
還れぬ家 関連情報
現代の私小説家佐伯一麦(かずみ)の仙台限定の随筆と、講談社文芸文庫としてでた新作の短編集です。
仙台在住の作者は離婚、鬱、アスベスト禍、初期の大腸癌、そして震災と、多くの災厄にもがき苦しみながら、それらを小説に書き継いできました。
しかし、その文学世界に陰惨な感じはありません。多くの不幸をしっかり引き受け、清澄な眼差しで見つめ直すことからにじみ出る強さ、潔さを感じます。
「それじゃあ、お父さん、僕たちが今いるのは『その世』なのかな?って。」
「………」
「あの子も、口には出さないけれど、人が流されていくのをずいぶん見てしまったはずですから。」
……この世とあの世の間はその世か、と私は心の中でつぶやいた。(「日和山」)
現役の純文学系作家のものはあまり読まないのですが、常に次作を待ち望める作家です。
日和山 佐伯一麦自選短篇集 (講談社文芸文庫) 関連情報
仙台在住の私小説家佐伯一麦の最新作。山の上のマンションから触れ得た自然や、書物のこと、友人との交流などを書いた随筆がまとめられています。
この作家は、自身の病気や離婚、草木染め作家との再婚から父の死、そして震災など、身の上に起こった出来事も丁寧に描いてきました。この随筆集から伺える作者の姿に、私小説にありがちな自己劇化や自己憐憫は感じられません。
作者の姿勢の根本には、日々の生活に真摯に向き合い、そこから聞こえる様々な音階に謙虚に耳を傾ける誠実さがあります。
「広く知られているように、ゴッホは、麦畑を数多く描いた。麦畑は、世界中いたるところにあるので、東北で生まれ育った私にも親しく見慣れた光景である。それらの絵から、私は、もっとも親しく、見慣れたものを仔細に描くことの持つ意味を知らされた。と共に、描く対象が作者と直結するのは、感覚や観念からではなく、生活を通してだ、ということも教わった。」
「私は、もちろん阿部昭流に、窓辺に仕事机を据えている。壁に向かって意志的に作品を築き上げるというよりも、外界を眺めながら言葉が聞こえてくるのを待っているほうが性に合っている。内面にばかり向き合っていないで、ちょっと窓の外を眺め、風景に耳を澄ませてみようか、阿部昭の文章は私にそんな促しを与えてくれる。」
地味な書き手ながら、30年にわたる文業を支えてきたのは、暮らしのどんな微細なことも損なわずに慎重に掘り出す、東北農民のような生真面目さと、そこから自己の生を回復しようとするしぶとさなんだな、と感じさせる1冊でした。
とりどりの円を描く 関連情報
私は小説読みではないが、そんな私でも本書に取りあげられた中でなぜ芥川賞をとらなかったのか
不思議に思う作家がふたりいる。太宰治と吉村昭である。
当初、芥川賞は賞の性格がはっきりしていなかったそうだが、
基本的には将来有望な新人純文学作家に与えられるものである。
だから選考委員は見抜く目が必要になる。見抜き損なったのは、太宰治と吉村昭である。
吉村さんはこうおっしゃっている。
「芥川賞をとっていたら、歴史小説には手を染めなかっただろう」
なるほどそういう僥倖もあるわけで、吉村さんは素晴らしい歴史小説を書き続けたのである。
よかった。
太宰治は芥川賞が欲しくて欲しくてたまらなかった。でもとれなかった。
それが太宰のお道化の根性に火をつけた。戦後太宰は賞から離れて、
名作『トカトントン』や『ヴィヨンの妻』を生んだ。
芥川賞を取らなかった名作たち (朝日新書) 関連情報
大人でも子供でもない17歳。子供時代の体験を通して心に傷をもつ主人公は名門進学校を中退する。そして、私生児を生んだ友達と赤ちゃんとの「ままごと」のような生活。
私は主人公の不安や焦燥や心の痛みを感じとりながらも、短いストーリーの中で不相応なぐらいの分量を使って書かれる電気工としての質実感に共感した。
自己の確立に踏み出す、不安定さと質実感が交錯するその短い時間を切り取った作品。
読むのが心地よいばかりの作品ではないが、青春期にあって、さまざまに悩みながら「自分とは何か」を模索する(模索した)人にとっては、共感できる作品なのではないでしょうか。
ア・ルース・ボーイ (新潮文庫) 関連情報