3本のナンセンス漫画の描きおろしの新作が収録されている。
どれもたいへん有名な小説や映画が元ネタになっているので、オリジナルの名作を知っているひとは何倍も楽しめる内容。
もちろん、これは版元のジョークなんだろうが、「R-18どころか、図書館収蔵も不可能な問題本ですので、必ず、大人が、書店で、お求めください」という出版広告を出している。
でも、それにしては、菊池寛の短篇に無難なヒネリをくわえた『恩讐の彼方に』を表題作に選んでいて、新潮社は腰が引けているのかな。
とりわけ『七人の百姓』のできばえがぬきんでている。はじけっぷりがものすごくて哄笑と脱力を禁じえない問題作。黒澤明監督の映画にたいする屈折した愛情表現に、ささやかな感動さえおぼえた。
やはり、これを表題にするべきだったろう。
ディテールが一見いいかげんなようでつくりこんであるし、なによりもナンセンスと諷刺のバランスが絶妙で、この国のいまの状況を撃つものを秘めた戯作とさえいえるかもしれない。
そして、太宰治の短篇からの引用に、人妻モノのアダルトビデオみたいな濡れ場をたくみにダブらせた『きりぎりす』は、実験的な作品だ。かならずしも私の好みではないが、作者の意欲はつたわってくる。
どれも読者をかなり選ぶ個性的な作品ばかりだけれど、アシスタントをつかわないで、ひたすら孤独に描線を引きつづけた作者の執念に好感をいだきながら読みおえた。
とはいえ、エロさをめあてに買うのはおススメしませんけどね。
恩讐の彼方に 関連情報
子供みたいにぼろぼろ泣くことができた本として、私の記憶には残っています。
しかし、今読み返してみると・・。
毎日の生活に、社会に揉まれ、八方塞がりで・・・
どこにいっていいいか分からなくて、とうとう醜い嫉妬に狂っている私って・・。
まさに今の私の状態と『恩讐の彼方には』は同じ状況だ。
高校生の頃は、ぼろぼろ泣いた当時、まさかこの作品と同じような状況に置かれるとは・・・。
やはり名作とは、普遍的な共感を得るからこそ名作なのですね。
「まだ間に合う」という想い(願い)を込めて、『恩讐の彼方に』を再読しました。
そういう意味で、どんな、自己啓発本より、私に渇を入れてくれた本です。
恩讐の彼方に・忠直卿行状記 他八篇 (岩波文庫) 関連情報
真珠婦人で御馴染み、菊池寛先生の作品なんですが、つか、
物凄い、現代にそっくり。
戦前て現代とほとんど変わらない生活を送ってたのかーという意味でも
楽しめる小説です。
結局、世界は男性の性欲と女性の物欲に支配されている。
(あと、少しの愛でも)
恩讐の彼方に 関連情報
『恩讐の彼方に』
復讐心、それは受けた仕打ちを返さんとする心。ただし、本作での讐(かたき)とは、自分ではない誰かが受けた仕打ちによるものである。つまりは、心の讐である。
一方、心の仇(讐)は心とも言う。
老僧を苦しめ続けたのは、自身が犯した罪を償いきれないのではという心の迷いであった。
両者がその讐の解消を目前にしたところで出会う。
つまるところ、両者の目的は合致していたとも言える。
それにもかかわらず、なぜ老僧は殺されなかったのか。
それは、「人のため」という、讐とは真逆の想いが、一太刀にも負けぬであろう、強き恩義を生み出していたからである。
手段はなんでもよい。信念を持ち、行動し続けたことが、ある意味「不本意にも」人の心を打った。
これが多くの恩義を生み、一人の復讐心を上回ったのである。
自分の気持ちを超越した次元での想いが集積し、それが何物にも負けぬ輝きを放ち、暗い洞窟の中に光を射し込んだのであろう。
その暗い洞窟とは、二人の心の象徴でもあった。
藤十郎の恋・恩讐の彼方に (新潮文庫) 関連情報