高津臣吾。彼は高校・大学ではそれぞれ2番手投手だった。彼よりも目立つ投手がいたからである。高校では、ブルペンで投げるよりも打撃投手になることを好んだ。打撃投手は、打者に打ちやすい球を投げる事が求められる。当然高津も打ちやすい球を投げていたのだが、打者はストライクなのに見逃したり詰まったり泳いだりすることがあった。遅い球であってもこうすれば打ち取れる、という微妙な感覚を、高津は打撃投手を務める事で獲得する。また、制球力も磨く事が出来た。大学ではアンダースローからサイドスローへ転向。シンカーを覚え、次第に頭角を現していく。プロ入り後は持ち前のコントロールの良さを発揮。また100km/h程度の遅いシンカーを習得したことにより、その後は守護神の道を歩む事となる。その間、最優秀救援投手のタイトルに輝くこと4度。そして2004年、彼はシカゴ・ホワイトソックスに移籍した。遅いシンカーを習得するための努力、怪我の最中のリハビリ、メジャー移籍かヤクルト残留か、という苦悩。高津臣吾という人間を知る事が出来る。そして彼がホワイトソックスで何故背番号10を選んだのか、も。恩師・野村克也や、女房役・古田敦也の談話も収録されている。 ナンバー2の男 関連情報
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