安田菜津紀 商品

安田菜津紀 イラストでよくわかる 写真家65人のレンズテクニック

写真というのは不思議なものです。見た目を写しとることも写真なら、デフォルメしてうつすことも写真です。カメラ本体は、レンズから通した光を内部処理して記録します。ですから、基本的に、レンズが、どういう光を通すかが重要で、それを受け止めた時には、それ以上には情報を受け取れません。うまく情報を整理して、センサーに受光させるのは、どんなレンズを、どのように使うべきなのか、という事を、様々な写真家の作例を通して、解説してくれている本です。こういう写真を撮りたかった、という作例があれば、その説明どおりのレンズと設定で撮れるわけです。様々なレンズと機体で撮られていて、レンズだけの力だけではないのですが、個々では、構図や光の回し方や、工夫などを学べ、自分の機材なりに試してみれば、今まで撮れなかったけど、撮りたかった画に近づける事が出来そうです。なにも、書いてある通りの機材は必要ないわけです。少々開放F値が違っても、構図を学ぶことはできるし、機材が違っても、レンズ自体が違っても、色はレタッチで近づけることが出来ます。学ぶことが沢山詰まっている本だと思います。ただ、写真の基本は必要です。設定は描いてありますが、設定方法までは解説してくれていませんから、入門用ではなく、ある程度カメラを使っていて、ステップ・アップしたい方向けだと思います。でも、敷居は高くありません。特殊な撮影方法などなく、考えて道具は使うものだと、教えているのです。ぜひ、学びたいと思います。いい本だと思います。 イラストでよくわかる 写真家65人のレンズテクニック 関連情報

安田菜津紀 ファインダー越しの3.11

迷い、家族が消えた悲しみ、自分がなぜ写真を震災の現場で撮っているのか。そんな葛藤や様々な感情と向き合いながらこの3人の著者は現地のことを伝えています。著者のひとりである渋谷敦志さんの章で書かれていた言葉の中に「報道とは道に報いると書く。写真はただ撮るだけではだめだ。誰に報いるために、どう生きるのか。報道するものはいつもそのことを考えなければいけない」というものがありました。この3人は文章と写真のそれぞれの視点で、その言葉を貫いているような気がします。「生きる」とは何か、を考えさせられると思います。ぜひ読んでみてください。今井紀明 ファインダー越しの3.11 関連情報

安田菜津紀 アジア×カメラ―「正解」のない旅へ

書店の写真集の棚に売られていた本だが、見るモノではなく読みモノなんだろう。そのボーダレスさがまた、著者の方達の考えともマッチしおり、なるほどなと思った。日本ドキュメンタリー写真ユースコンテストに入賞した20代のフォトジャーナリスト3人が写真を撮るようになった経緯や、レンズの向こうの人たち(「取材対象」ではない)との関係づくり、自分自身を語った本だ。巻末に彼らがカメラを向ける世界のことも書かれている。はじめに表紙を見たとき、副題の『「正解」のない旅へ』って必要なのかと疑問に思った。確かに副題があった方が治まりがいいし、なんとなく格好いい。「正解」がないというのも今どきっぽいので、装丁上必要だったのかと思ったら、実はここが肝だった。。。。。これまでのフォトジャーナリストは、真実と正解を求め、「真実」を伝える決定的瞬間や、世に知られていないもうひとつの「正解」を伝える努力をしてきた。次の世代への狭間に産まれたロスジェネ世代の私が著者達と同じ20代の頃、そうした「正解」のあり方にぼんやりした不安をもっていた。なぜそれを「正解」だと言い切れるのか、言い切らなくてはいけないのか、そもそも伝えるモノが「正解」である必要はあるのか、「正解」ってなんだろう? そんな疑問を持ちながらも、先輩方のやり方がそれこそ正解なんだと思おうとしていたし、思っていた。この本の著者3人は、違う。自分たちの「旅」(そもそも取材ではなく、「旅」なのだ)に「正解」がないことを知っていて、「正解」を探すプロセスにこそ伝えるべきものがあると信じている。自分たちの伝え方に疑問も怯えもはない(ように見える。あるかもしれない)。この本の中で、幸田大地さんは「写真は、撮影された瞬間から、見る人の意識の中で完成する。そして、そこに写る事実以上のものとして、見た人の中で新たな「始まり」をみせる」と書いている。まったくもってその通りだし、それを憂いなく言え、その上で写真に撮影者として責任を持とうとする彼らは頼もしい。そして、少し羨ましくもある。巻末(というか第4章)に、3人のフォトジャーナリストの写真の背景、国の歴史や現状が、彼らの言葉で書かれている。この章はとても短いが、簡潔に分かりやすく書かれていて非常に面白かった。インターネットを介せば、世界中の情報が瞬時に手に入れられる。発信もできる。日本人であれば性能の良いカメラを手に入れることなんて簡単だし、街の歩行者のほぼ全員がカメラ機能付きの携帯電話を所持してるだろう。テレビの放送番組などでは、視聴者撮影映像が決定的瞬間の映像として使用されている。これまでの取材のやり方が通用しない社会になっているのだとしたら、著者のようなニュータイプの登場は当然と言えば当然なのかもしれない。そんな若手フォトジャーナリストが育った、10年、20年後はどうなっているのだろう。これから世界がどちらに進むのかは分からないが、不安の中にも小さな希望を感じることができる一冊だ。 アジア×カメラ―「正解」のない旅へ 関連情報




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